先日ふと、のぶ代版ドラえもん(第2作第1期)の頃の、某寿司チェーン店のCMを思い出し、それをきっかけに、記憶に残っている話をいくつか観返しています。
「人生やり直し機」、「無人島へ家出」、「のび太もたまには考える」(能力カセット)、「のび太の地底文明説」(異説クラブメンバーズバッジ)、「走れのび太! ロボット裁判所」(アニメオリジナル)等々、記憶に残っている話は多くありますが、中でも強く記憶に残っているのは、「どくさいスイッチ」の話。
わさび版ドラえもん(第2作第2期)でも放送されたので、内容のインパクトの強さから、幅広い年代の人の記憶に残る話となっているのではないでしょうか。
さて、私の場合、原作とのぶ代版アニメで「どくさいスイッチ」の話を幼少期に見てから、かなりの時間が流れているので、改めて「どくさいスイッチ」の話を見てみると、やはり、子どもの頃には感じなかったことを感じるわけです。
ただそれは、「やっぱり、他人を大切にしなければいけないんだなぁ」という”社会通念”的なことでも、「世界線」や「存在論」といった、SF批評的な視点からのものでもありません。
改めて「どくさいスイッチ」の話を見て思ったのは、私の「思想モドキ」の一部に重なることが実によく現れている、ということ。そして、多くの人がその箇所に疑問や違和感を抱いていないであろう状況に、いかに社会的な物語の力が人を支配しているかが現れている、ということです。
本記事では、それが具体的にどのようなものであるかを述べていきます。
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