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僕は、「人は生まれながらにして一定の権利を持つ」(自然権)という“言説”に対して「なぜ?」と疑問を持つことのできる人が好きですし、その疑問に対して「そういうことにしておくことが社会には必要だから」と、まともな答えの出せる人が大好きです。
— 佐脳FRAN (@F_Sano_) 2018年2月18日
自然権が「あるとする」ことは別に構わないんですよ。
ただ、「自明に存在しているもの」であるかのように、無思考でそれを受け入れている人があまりに多いように思うのです。
そして、そういった人はまるで「お人形さん」のように見えて、(私には)気持ち悪いのです。
法も権利も、所詮は物語(作り話)にすぎません。
根本的には宗教教義や神話と何ら変わりない。
しかし、いつしか社会的な物語はそれが「前提」となり、その物語性を認識されなくなっていきます。
そして、必要性から人が作り出した物語に、人が動かされ、作り出されていくようになるのです。
物語自体が価値を持ち、力を持ち、所与のものとなり、認識されなくなる。
その物語の下に、“人間”が生産されていく。
私にはそれが、非常にグロテスクな構造に思えてなりません。
その生産構造の(受動的な)構築過程こそが、人類が叫ぶ「進歩」なのでしょうか。
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*この記事は、「twitterでのツイートなどを元にブログ記事を作成しよう」という経済的な思考と、「色々書きたくなるのを我慢して短い記事を書く練習をしよう」という考えの下に作成しました。
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