秋になり、3月に書いた「マテバシイの実(ドングリ)を採って食べる」の記事が急激に伸びてきたので、改めてマテバシイの実を拾い、皆さんが参考にしやすいよう、内容を分かりやすくまとめることにしました。
様々な場所に植えられているため容易に拾え、アク抜きなどなしで美味しく食べられるマテバシイの実。
本記事の内容を参考に、ぜひ皆さんも採取して、食べてみてください。
秋になり、3月に書いた「マテバシイの実(ドングリ)を採って食べる」の記事が急激に伸びてきたので、改めてマテバシイの実を拾い、皆さんが参考にしやすいよう、内容を分かりやすくまとめることにしました。
様々な場所に植えられているため容易に拾え、アク抜きなどなしで美味しく食べられるマテバシイの実。
本記事の内容を参考に、ぜひ皆さんも採取して、食べてみてください。
4月に野草を採取して以来、特に野草や木の実の類を採取してきませんでしたが、あっという間に時期は秋に。
そして、秋と言えば、やはり木の実の採取時期です。
ただ、様々な木の実を採取できる時期ではありますが、私は野草も木の実もなるべく、
「見つけやすい」、「同定しやすい」、「ある程度の量を一度に採取できる」「処理が容易」、(できれば)「ある程度の保存が効く」
という条件を満たすものを選んで採取するようにしています。
このような条件を満たす木の実と言えば、ドングリ(マテバシイやスダジイ)が分かりやすい例かと思いますが、もう1つ、以上の条件を満たすものがあります。
自生しているクルミは(ほぼ全て)オニグルミになりますが、これは河原によく生えていますし、葉が出る前の芽や花期の花を見れば木の同定も容易です。また、実も特徴的なので、まず間違うことはないでしょう。
そして、実を食べるのにアク抜きなどの処理が不要であり、殻のままで保存しておけば1年はもつようです。
9月から拾い始め、既に何度か食べていますが、味も市販のクルミよりも少し味が濃い感じがして、美味しいですよ!
というわけで、この記事では、私が今秋、実際にオニグルミを採取して食べてみた際の経験を元に、オニグルミの採取の仕方や食べ方の説明をしたいと思います。
比較的手間の少ない方法を採っているので、ぜひ参考にしてみてください。
全国的な調査が未だに行われていないため、1型糖尿病(IDDM)患者の正確な人数は分かりませんが、
とされていること等から、 日本の1型糖尿病患者数は、少なくとも1万人強、多くて2~3万人程度かと思います。
いずれによ、患者数はかなり少ないと言えるでしょう。
そのため、周りに1型糖尿病患者がいるという方は稀であり、自分以外の1型糖尿患者が1型糖尿病をどのように考えているかを知る機会も多くはないはずです。
というわけで、他の1型糖尿病患者が一体、1型糖尿病についてどう思い、何を考えているのかを知る道具にしてもらうため、この記事では、私のtwitterでの1型糖尿病に関するツイートを、簡単なコメントを付けながらまとめていきます。
1型糖尿病患者でない方(特に政策立案の類に携わる人)も、ぜひこれを、1型糖尿病患者がどんなこと考えて生きているかを知る機会にしてください。
(1型糖尿病については、日本IDDM ネットワークや、糖尿病情報センターのページなどを参照。生活習慣を主な起因とする2型糖尿病との違いには要注意)
ただし、「(他の)1型糖尿患者は皆、こんなことを考えているのか」などとは思わないでくださいね。あくまでも、1型糖尿病患者の”一例”です。
先日、思い付いたちょっとしたネタをtwitterに書き込んでいた際、「小額から送れて、匿名で利用できるようなネット送金サービス」があるといいんだけどなぁ……と思い至りました。
そして、探してみると、kampa! という非常に良いサービスを発見。
このkampa! というサービス、デザインエッグ株式会社が運営する「ソーシャルカンパサービス」なのですが、
・手数料なしで、15円から送ることができる
・送る側も受け取る側も、会員登録の必要がない
・送る側は匿名で可
・受け取る側も、実名を示さなくてもよい
などの点に大きな特徴があります。
皆さん、今日も「楽しい1日」を過ごしていますか? 「幸せな人生」を送っていますか?
・・・それはよかった。非常に素晴らしいことです!
人生というのはやはり「喜びの気持ち」で満たされるべきです。
あなたが「喜び」を抱えているという事実は、それだけで私を含めた他人を幸せにし得るものです。
しかし、出来れば、その喜びを他の人に分けてもらいたいと思うのです。そうすれば、あなたの「喜び」が、他の人の「喜び」を確実に生みだします。あなたの「喜び」は、あなただけのものに留まらず、他の人の「喜び」へと広がっていくのです。
先日twitterにて、「反出生主義」という用語を初めて知りました。
そこで得た簡単な情報によれば、反出生主義とは、「子供を持つ事に対して否定的な意見を持つ立場」なようで、この内容だけ見れば、私の思想モドキの一部も反出生主義に当てはまりそうです。
ただ、さすがにこれだけでは反出生主義についての情報は不足していると言わざるを得ない。
そのため、この記事にて、「反出生主義とは何ぞや?」を確認し、私見などを加えたうえで、私の思想モドキとの関連についても検討したいと思います。
先日ふと、「本は読む度に、メディアマーカーやtwitterで感想を書いたり、必要であれば読書ノートのようなものを作ったりしているのに、漫画は一切そういったことをしていないな……」と思い、漫画を読みっぱなしにしているのは「もったいない」ような気がしてきました。
そこで、この記事で実験的に、私がこれまで読んだ漫画の中で、特に私が好きなものを挙げていき、コメントを加えていくことにしたいと思います。(随時追加予定)
かなりジャンル等に偏りがあるかと思いますが、皆さんの漫画選びの参考になれば幸いです。
先日ふと、のぶ代版ドラえもん(第2作第1期)の頃の、某寿司チェーン店のCMを思い出し、それをきっかけに、記憶に残っている話をいくつか観返しています。
「人生やり直し機」、「無人島へ家出」、「のび太もたまには考える」(能力カセット)、「のび太の地底文明説」(異説クラブメンバーズバッジ)、「走れのび太! ロボット裁判所」(アニメオリジナル)等々、記憶に残っている話は多くありますが、中でも強く記憶に残っているのは、「どくさいスイッチ」の話。
わさび版ドラえもん(第2作第2期)でも放送されたので、内容のインパクトの強さから、幅広い年代の人の記憶に残る話となっているのではないでしょうか。
さて、私の場合、原作とのぶ代版アニメで「どくさいスイッチ」の話を幼少期に見てから、かなりの時間が流れているので、改めて「どくさいスイッチ」の話を見てみると、やはり、子どもの頃には感じなかったことを感じるわけです。
ただそれは、「やっぱり、他人を大切にしなければいけないんだなぁ」という”社会通念”的なことでも、「世界線」や「存在論」といった、SF批評的な視点からのものでもありません。
改めて「どくさいスイッチ」の話を見て思ったのは、私の「思想モドキ」の一部に重なることが実によく現れている、ということ。そして、多くの人がその箇所に疑問や違和感を抱いていないであろう状況に、いかに社会的な物語の力が人を支配しているかが現れている、ということです。
本記事では、それが具体的にどのようなものであるかを述べていきます。
私は普段、主にtwitterで「誰も幸せにならない」ようなことをつぶやいており、その元となる考えを「思想モドキ」と呼んでいます。
(→「生きるのが辛い」人へ にまとめています)
しかし、先日ふと、「『思想』には至らないという思いから『思想モドキ』と言っているが、そもそも『思想』って何なんですかね…?」と思い至りました。
……んー。何となくイメージは湧くのですが、言語化できるほどはっきりとした対象は思い浮かびません。
皆さんはどうですか?
「思想」とは具体的にどのような事物を指すのか、言語化して、説明できるでしょうか?
「思想」と似たニュアンスの言葉に、「思考」や「主義」がありますが、これらの(指示対象の)違いを認識できているのでしょうか?
それが分からずに、世の中に溢れる「○○思想」「○○主義」を果たして理解できるのでしょうか?
……というわけで、この記事では、「思想」とは何ぞや? ということを探っていきたいと思います。
ただ、「『思想とは何ぞや?』という、私の思想」になると、話がややこしくなってしまいます。
そのため今回は、私の思想が極力入り込まないように、事典、辞典を中心に各種書物の記述を確認していく形で、「『思想』とは何ぞや?」を探っていくこととします。
この点をご理解頂けた方のみ、以下にお進みください。
「筋トレの効能+1型糖尿病と筋トレ」は当ブログ最初の記事であり、書く際にそれほど時間等を割いたわけでもないのですが、ありがたいことに継続的にアクセスがあり、livedoorブログからの移転前、移転後共に、1番閲覧数の多い記事となっております。
それだけ筋トレに関しては皆さん(特に糖尿病患者の方)、関心があるということでしょうか。
そこで、皆さんが筋トレを習慣化する助けに少しでもなればと、私が筋トレを習慣化するまでに意識したことなどを(おまけとして)以下に記したいと思いいます。
筋トレを習慣化するために、ぜひ参考にしてください。
(この記事は、「筋トレの効能+1型糖尿病と筋トレ」におまけとして書き加えていたものを分離し、加筆したものです)
・筋トレを習慣化するために重要なポイント
■「筋トレをするスペース」を”常に”確保する
■記録をとる
■筋トレの道具について
■筋トレ前の補食