どうも世の中には、他人の言動を(過剰に)気にする人が多いようで、私には、彼ら(彼女ら)がとても生き辛そうに見えます。
そんなに他人が気になりますかね?
そんなに他人を気にして、何か“利益”がありますかね?
そんなに他人を気にする“必要性”がありますかね?
……ということで、この記事では簡単に、私が考える「他人の言動を(過度に)気にする必要のない理由」を挙げたいと思います。
人間関係、というより、他人の存在が辛い人の参考に少しでもなれば幸いです。
・他人の言動を気にする必要のない理由①
人はあらゆる次元の情報の“組み合わせの結果物”にすぎません。(原理的には、人は再現可能)
そして、人の言動というのは、一定の条件(刺激)に対する一定の処理(反応)の表れにすぎず、その意味ではコンピュータのプログラムと同じです。
一定の刺激に対して、必然的に一定の反応をしているだけの存在を、あなたが気にする必要などあるのでしょうか?
「こういった条件下では、こういった出力(反応)をする存在(モノ)なのか」と考えれば、「まぁ、そういう存在(モノ)だから」という認識で済みませんか?
・他人の言動を気にする必要のない理由②
他人の言動を気にするということは、その相手(他人)を自分よりも(はるかに)優れた存在だと認めているということです。
そうでなければ、他人が何をどう考えていても、自分には関係ないはず。
この世界には、あなたより優れている(とあなたが考える)人ばかりなのでしょうか?
また、あなたは動物園で「動物園の猿にどう思われているか」を気にしたりするのでしょうか?
・他人の言動を気にする必要のない理由③
本当に自分に必要な情報は、何らかの方法で自分に伝わってきます。
あなたが他人を気にしているか否かとは関係はありません。
よって、あなたに伝わってこない情報、特に陰口などは、あなたにとって価値のない、気にする必要もないものです。
・他人の言動を気にする必要のない理由④
自分以外の存在は、「自分ではない」という意味で全て“他人”なのです。
「自分」と「他人」の間に位置する人物など、社会的な物語(作り話、神話、言説)の中でのみ存在する虚構の存在です。(その虚構の存在が好きであれば否定する必要はありません)
あなたの周りに存在している人物は、全て「他人」。そう“認識”するだけで、対人関係の問題の一部は解消されるはずです。
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*この記事は、「twitterでのツイートなどを元にブログ記事を作成しよう」という経済的な思考と、「色々書きたくなるのを我慢して短い記事を書く練習をしよう」という考えの下に作成しました。
皆さん、人のことを気にしすぎじゃないですかね。自分でない以上、自分以外はすべて”他人”ですし、生物学的なものを含め、自分を構成する情報の組み合わせが違う以上、誰もが自分とはまったくの”別物”ですし、それ以前に、他者など全て幻影かもしれないのにね。
— 佐脳FRAN (@F_Sano_) 2016年12月19日
要は、「他人ではない人」とは、社会的要請から生み出される規範によって各人が作り上げ、規範順守による社会的な称賛によりその規範が強化され続ける一過程として、今面前に「作り」「作られた」存在でしかないのです。根本的には、宗教信仰によって神を信じるに至ることと変わらないですよ。
— 佐脳FRAN (@F_Sano_) 2016年6月1日
不必要に他人のことを気にする人が多いよね。
他人の趣味嗜好なんて「どうでもいい」ことの最たる例。何オタでも、腐女子でも、レイヤーでも、女装癖持ちでも、同性愛者でも、マゾでも、何でも、「自分に不利益が生じない限り」関係のないことでしょう。
どうしてそんなことまで気にできるのか。— 佐脳FRAN (@F_Sano_) 2017年8月8日